京浜運河1975年からの観察記録から5年毎にまとめて

 観察回数は1,000回を超える回数となって、記録を取っていた事をまとめて見ました。
 多分、誰もが運河の中の貝は種類も少なく、あんな所に住む貝はたいした事は無く、
 見てもたいした貝は無いと誰もが思い、事実私自身も思っていました。
 私自身も30種に達するのはいつ頃になるのか見当も付きませんでしたでも1996年を境に大きな変化が 見ら  
れ、予想を越える早さで予期していなかった貝の出現と定着、少なかった貝の個体増加による打上げ 開始とグラ 
フのように、すばらしい?変化を見る事が出来ました。

 1975年〜1980年
 大井埠頭埋立地内には殆ど建物はなく、野鳥公園、中央海浜公園もない時代です。 
 運河内で見られる種類は7種類しかありませんでした、沈没船も新しく、腐食もなく黒いペンキが塗られてしっかり 
 していました。 (現在ではかなりぼろぼろになっています)
 当時 タマキビも非常に少なくわずか10個体位を探すのに30分位の時間がかかったのを記憶しています。
 当時はハゼ釣りがメインでハゼ釣りの間に貝を見ていた感じです、1979年そんな時に足元にクレハガイを見つけて
 何故ここにクレハガイがと不思議な感じでした。
 運河の水は悪く、大雨でハゼは一週間は口を使わず釣れない状態でした。ちょっとの雨でもハゼは浮き上がり流さ
 れていた状態でした。

 1981年〜1985年
 特に大きな変化の見られなかった時ですが、ハンレイヒバリガイの新鮮なものが打ち上がり ました、又温排水の
 所で釣り人が真っ黒になっていたトリガイの生貝を釣上げていました(このトリガイの中にはピンノ(蟹)が見られまし
 た)
 その後、幼貝の打上げ等が見られる様になりましたが定着の確認は未だに出来ません。
 この頃にはもう捨てられたヒダトリガイを得ています。
 1986年〜1990年 
  運河の観察で始めての変化が見られた年代です。特に釣りをする人のゴミ?として上げられた中で得た情報  
 が多い年代で打上げでの大きな変化はミドリイガイの出現のみでした
 1986年3月 ミドリイガイの生きた幼貝が初めて出現しました、又その後シマメノウフネガイ、ジャノメアメフラシ  
 を釣り人が、ハナグモリが打上げで、エガイが釣り人で、ウスカラシオツガイが釣り人で、アカガイも釣り人で(初  
 めてのアカガイはビニール袋をくわえてしまいそのまま引き上げられた)この後この最初の記録から時々見られる 
 ようになったが現在の様に打上げで、生貝のままの観察等は未だ個体数が少なく見られない状態でした。 
 1991年〜1995年
  運河内でクリイロカワザンショウ、ナギサノシタタリが(大井埠頭の外側では1980年代に生息)見られる様になった年代でし
 た、この2種の広がりは非常に早くモノレール大井競馬場の駅の対岸でしか見られなかったのが翌年にはもう中央
 海浜公園の砂浜をはさんだ護岸でも見られる様になりました。又キヌマトイガイが見られる様になった年代であり少
 しずつ種類も増加していきましたが打上げでの種類増にはつながりませんでした。  
 1996年〜2000年
  1996年は大きな変化の起きた年でした、一気に種類増加、今まで釣り人のゴミ?でしか手に入らなかった
  種類の打上げの開始が始まりました、又
 1996年にリストに
載った貝
オオノガイ、シオフキ、クリンイトカケ、オダマキ、フデシャジク
キセワタ、シズクガイ、ヒメシラトリ、ヒメネジガイ、ヒレイトカケ
アラムシロ、バカガイ以上の種 太字は現在定着種
1996年に打上げを
開始した貝
シマメノウフネガイ、ウスカラシオツガイ、アカガイ、サルボウ
アカニシ、オオノガイ、アラムシロ
リストでも1996年以降で半分以上を占めてしまいます。
これには、1995年から近くの目黒川に下水処理水を流し始めたのがきっかけと見ています又、1998,2000年と
シゲトウボラが見られ、湾外の海水がここまで入って来たと見ています
 1999,2000年とアサリが壊滅状態になりました、この時は、1998年9月の豪雨で7年ぶりに江戸川放水路の堰が
開けられ三番瀬でアサリの稚貝が死亡、更に1999年の8月にも開けられてやはりアサリの稚貝が死亡したそうで
す、やはり京浜運河内でも同様に壊滅状態になりました、その時の状態は下の表のようでした。
   激減した貝 アサリ、ウスカラシオツガイ、ヒメシラトリ
 殆ど影響のなかった貝 コウロエンカワヒバリ、イガイダマシ、オオ
ノガイ、ミドリイガイ、アラムシロ、シマメ
ノウフネガイ、
 この時、その他にもゴカイの半減、ミズヒキゴカイの絶滅?が見られました。
 長年見ていて、かって水が悪くなりアサリが波打ち際に山の様になった時も有りましたがそれでも今回のような絶
 滅状態にはなりませんでした。
 この時の変化に付いては、全く予兆も感じず、1999年の春の大潮でアサリがいないと気が付く程でした、しばらく 
 の間は砂浜の貝の打上げラインが白色からコウロエンカワヒバリの黒褐色に変わった程でしたが、この状態からア
 サリがある程度見られるようになったのは2001年9月頃で回復にかなり時間がかかりましたが未だ以前の状態に
 は回復はしておりません、特にウスカラシオツガイ、ヒメシラトリの回復が遅いようです。
 只、2000年に又変化が見られ、クレハガイの打上げ個体の増加、チヨノハナガイの出現、ウチムラサキの個体数
 の急増、その他、蟹ではガザミ(2001出現、2002出現)、、マルバガニ(2001,2002と出現)ジュウイチトゲコブシガ
 ニが新たに加わり又一段と水質が良くなった様に見られます。 
 特にチチュウカイミドリカニは、はぜ釣りの時良く釣れて来るほどです、その他の生き物にも年毎に新らたな事が見
 られています。

2001年〜2005年の変化  (2006年8月記)
 まさか運河の中でと思ったクレハガイの定着が確認された年代ですが、他にも大きな出来事が起こりました。
2002年5月に何時も観察している砂浜の砂が大量に流される現象が有りました、たった1週間の間の出来事でした、
それまでの28年間砂浜は少しずつ成長しており、過去一度も出会った事のない現象でした。運河を流れる水の流れ
が速くなり、そしてその現象は2003年、2004年と続き2005年にはかなり弱まりましたがその影響は残りました。
 2002年には運河の中では、速い流れのため貝が打ち上がらずにそのまま流されてしまって貝の観察が思うように
出来ずにもう観察は中止せざるを得ないかなとも感じた程です。
 2003年にはアサリとホンビノスガイが大量発生しました、アサリは1999年に絶滅状態になる事件が有りました、又
始めてホンビノスガイの半片を得たのも同じ年でした、2003年の大発生は1999年からの潜伏期間を経て両者が大
発生した様に感じています。 ホンビノスガイは2005年にも更に大発生の2段階で増加しました。
通常運河の中で変化が有った翌年に貝の方には変化が起きますが、2003年には運河ではそれ以外は大きな動き
は有りませんでした。
 一方、2003年には三浦半島、鎌倉、逗子、三浦海岸とオオシイノミガイ他の大発生が有りました、運河の経験から
は翌年に変化が出ていますので、三浦半島は2002年に何かがあって大発生につながったと思っています。
一連の変化から、三浦半島を含む東京湾奥が連動していた様な感じを受けています。
 2004年になると、運河の中では外海種が見られる様になりました、普段からの運河の汽水域の状態では決して見
られるはずのない貝達です、ユキミノガイ、ナミガイ幼貝、ヨウバイ他の外湾種です、海の勢いが強くなって湾奥まで
幼生を運んで来て運河の中で育った貝が見られる様になりました。
何故か三浦半島と比べて運河の中では変化が1年遅れました、通常で有れば翌年の変化なのですが2002、2003
年と運河の中の汚れ?を強い流れが押し出して運河の底がきれいになって外湾種が育ったような感じを受けていま
す。

2005年は2004年の種類の上に更に外湾種が現れました、セキモリガイ、オオギウロコガイ、コハクノツユと今までの
運河の観察からは信じられない貝達の出現でした。2002年10月から始めた塩分の測定でも、2002、2003、2004と
割合塩分が高く、2005、2006年と塩分は下がって来ています。
 一方、三浦半島では、2004年も良い状態は続いていましたが、2005年になると急激に打上げが少なくなってしまっ
たとの情報を聞いています。なんとなく、三浦半島と東京湾奥では1年のタイムラグが感じられました。
東京湾奥の運河よりも一足速く現れて、一足早く悪くなるといった感じを受けました。
どうして東京湾奥の運河で外海種が見られるのか、今回の急激な津波が襲ったような原因が気になって色々なホーム
ページ等を見ても2002年5月に何があったのか分かりませんが、一つのヒントは見つけました。
1982年に東京湾奥にサンマが大量に現れた事が有ります、この時、東京湾の奥までの途中経路で何処にサンマが
現れたか、小学生高学年向けに発行された本に分かり易く記載されていました、この時サンマは何処にも寄らずに
まっすぐ東京湾奥の隅田川河口まで来たと記述されていました。
私も大井埠頭北端の所の外側で大量のサンマを見ていますので、湾奥では大井埠頭の外側が通り道で有った様で
す。
この時、黒潮の本流が東京湾に直接ぶつかったため起きた現象と言われていたと思いますが、この時でも運河の砂
浜は変化しませんでした。
 これで東京湾奥へ直接通じる水の流れがあって、たまたま今回この流れが極端に強くなり長期間続いた事で運河
の中の汚れを流し去り、多くの外湾種が現れた様に感じています。
 2002年以前にも外湾種は現れています、相模湾以南に住むというミヤコウミウシ、シゲトウボラ、クリンイトカケガイ
等ですが、何故運河の中でと、ずっと長い間疑問に思っていましたが、このサンマの通った道を考えるとこの流れに
乗って貝の幼生が流れて来て運良く運河の中で育った、その一部を見つけたと思っています。
多分、この2003年〜2005年の3年間の東京湾奥はこの水の流れでとてもきれいではなかったと思います、ところが
2006年になると5月までは良かったのですが、赤潮が発生して以来、元の運河に戻ってしまったようになりました。 
これからが、東京湾奥のきれいな状態が続くのかを見る本番ではと思っています。 
 但し、この考え方があっているか、間違っているのか私にも良く判りません。 あるいは他の見方もあるかも知れま
せん。観察状況で感じた事を記述しております事をご了承願います。

                2006年8月記
  (塩分がずっと低めで推移していましたので2006年がどうなるのか、以前との関係を見るため、遅くなってしま
  い ま した。又、下記の年度の途中で書いていたものは、そのまま残しておきます、考え方がその時、その時で
   変化 しているのが分かって頂けると思います。 又、この時は、この潮の流れ込みが何なのか全く分っていな 
   い時に書いています。)

以下、年度毎に書いていた部分です。
 (2001年〜)
 (2001年クレハガイが2000年の倍数打上げで採集しました(27個体、2000年は13個体)2002年春には、ホン 
  ビノスガイが潮干狩りでかなり採れていました(概算4月だけで40個体位確認)、これにより1999年に京浜運河
  に現れたホンビノスガイの定着を確信しました。
 大きさは2002年4月の時点で通常4〜5cm,大きな個体で8〜9cm(非常に少ない)のが採れています。  
 運河の記録ではアサリの絶滅状態なども有りましたが、2000年、2001年と又一段と違った状況が(クレハガイの急 
 増、新たなカニの種類の出現等)見られましたが残念ながら貝のグラフでは表す事が出来ません。
 2002年5月に運河内の水流の変化のためか砂浜が大きく北側へずれる様な感じで減少してし
まいまし た、これにより今までゴロタ石と砂泥とで一番種類数も個体数も多かった場所が流れた砂
により埋まってし まいました、砂浜の高さが一挙に40〜50cm程減少、たった1週間の間での、出来
事でした。
 この時には、砂の中に住むゴカイも対応でき無かったようです、殆ど見られない状態になりまし
た、生き 残ったのは、ミズヒキゴカイ、比較的大きな石についた大型の部類のミドリイガイの一部、同じ石
についたコウロエン  カワヒバリガイはほぼ全滅の状態、チチュウカイミドリガニ、イソガニ、ヒラムシ等も見られなくなって
しまいました。
 僅かの時間で砂が流れて覆ってしまった事により多くの生き物が対応できずに死んでしまったよ
うです。
 砂の表面から5〜10cm下(過去の表面)は真っ黒に変色してしまいました。
そして約1ヵ月後に多くの生きたアサリが打ち上がりました、砂を掘らなくても簡単に拾える状態で
したが、そのアサリを食べた人は泥臭くて全く食べられず全て捨てたそうです、以前の砂浜の表面
は真っ黒になりミズヒキゴカイも昔の表面の所に相当する部分だけが黒く染まった状態でした。一
ヵ月後に昔の表面の黒くなった部分から何かが上に向かって上昇しその上に住んでいたアサリが影
響を受けて泥臭くなり、又砂の中に居られなくなり砂の中から飛び出してしまったものと見ています。
その後、砂浜に変わってしまった状態からは、新たにシオフキ、初めて現れたマテガイが見られましたが、
潮の 流れの変化が激しいのか砂浜の高さが安定しなく、又貝も以前の様に集まらなくなり一緒に
流されるのか以前のような観察は出来ない状態になってしまいました、原因は現在の所不明です。
砂浜が以前の様に高さが安定して戻って来たのは2003年2月位になってからです、それまでは
行く度に砂浜の高さが変化していました。2003年2月からは砂浜の一番高いピークの所が少し
づつ以前のピークの場所に戻りつつありますが、砂のなくなった部分にはあまり変化がありませ
ん、又砂の流れた方は依然として石が埋まったままの状態です。
2002年後半から決まった場所ですがホンビノスガイの幼貝が非常に多く打上で見られるようになりま
した。
2003年も同様でホンビノスガイがかなり大量発生の兆しを見せています。1999年10月の最初の
記録から4年かかっての完全定着と思っています。
 2003年 アサリとホンビノスガイの大発生が有りました、小さい砂浜なのに、毎日誰かが掘ってアサリを取ってい
ましたがまるで湧いて出てくる様に何時でも沢山取れていました、又ホンビノスガイの2〜3cm位の大きさの物がか
なり混ざって取れていました。クリンイトカケが少し見られました。
 2004年はアサリは非常に少なくなりました、2003年の反動の様な感じです、又ホンビノスガイも全く同じ様な動きを
示しています。)

2006年から2010年の5年間の変化(2011.1記)
2004年、2005年と運河の良かった年から2006年からは少しずつかげりが見られ始めました、
運河の水の流れが弱まりと共に色々な生き物が減少して行き、流れ(2002年からの一連の強
い流れ込みの状態)が次第に弱まり2009年3月にはついに砂浜の上下動も無くなり流れ込み
の潮の動きは終息しました。それと呼応するように運河の中の貝の種類も個体数も減って
1996年から2000年の間の状態に戻ってしまったと言う現象が見られています。

 2006、7年はまだまだ色々な遇因分布種が見られ、ネジガイの類やユキミノガイ等が見られ
たのですが2005年に見られたセキモリガイは見られなくなりました、2008年にはユキミノガイが
大発生して一回の観察で生貝72個を見た程でしたが、2009年には死貝の半片のみ、2010年
にはこの年発生の半片すらも見られませんでした、2010年には消滅してしまった様です。 
クレハガイの打上数も年を追って減少して来ています。2009年まで見られた貝も2010年には
見られなくなってしまった貝も(キセワタ、ウチムラサキ、チヨノハナガイ等)、2002年以前に見
られた種類も見られませんでした。2009年よりも2010年と潮の流れの影響がなくなるとこんな
にまでも変わってしまうのかと、僅か2009.2010年の2年で一挙に運河の中のにぎわいが無くな
って寂しい状態になってしまった事を実感した5年間でも有りました。 

2002年から2010年までのまとめ(2011.1記)
 2002年から20010年の間の観察からの変化を通して見ると、潮の流れの影響の大きさがは
っきりと見えました。観察から28年間砂浜は何時も同じ状態でした、2002年5月突然、運河に
強い流れが生じ砂浜は大きく形を変えました、最初はこの現象が全く分からず、一週間の間に
全く姿を変えた砂浜、それ以後も、ただただ砂浜の砂が流されて行き、砂浜が小さくなり、今後
の観察も出来ないのではないか、又この現象が地球温暖化の影響の第一波?との印象も受
けました、とにかくそれまでの28年間はこんな変化は全く見られなかったのですから、始めて遭
遇した変化に戸惑うばかりでした。

2004年から2008年までの観察は35年間の観察の中でも最も楽しい時代でした、こんな貝が運
河の中にいるなんてと感動もしばしば、一番驚いたのはユキミノガイの出現でした、何か赤い
ものが見える何だろうと近くによるとユキミノガイの生貝が、最初はうそだろう、誰かが逃がした
のかと思ったりしました、その他にもクレハガイがいて、なぜセキモリガイがいないとの疑問に
セキモリガイが出現、オオギウロコガイ、ヒナユキスズメ、トゲアメフラシ、ヒメネジガイ、タテヨコ
イトカケ、、ヨウバイ、ブドウガイ、ヒメマスオガイ等この期間で新たに記録された種類は30種に
及んでいます、この他にもミヤコウミウシの久しぶりの出現、ブドウガイの再出現と東京湾奥の
運河ではとても信じられない貝が続々と見られました、運河へ行く度に必ず何かしらを感じる
期間でした。
それもつかの間、2009年からは潮の勢いが弱り終息すると共に昔の運河に急速に、まるでつ
るべ落としの様に戻ってしまいました。
この流れの収束は砂浜自体の上下動変化が無くなった事から分かるほどでした。
この期間、三浦半島でも大きな変化が有りました、今まで相模湾レッドデータブックに掲載され
ている種類で有るものは大発生を見たり、その他の貝も個体数が激増して打上貝が非常に増
えた事が確認されています。
それにしても、海のとてつもなく巨大なチカラを感じた期間でした。
そして新聞記事に太平洋十年規模振動を起こす現象について記載されていました、記事には
その前は30年前となっていました、その当時の30年程前の運河の中では色々な外海の魚が
釣れていました、そして運河の中にマハゼが戻って来たのも、ちょうどこの頃で有る事を事を
思い出しました、この観察の結果と太平洋十年規模振動の時期がとても合致します。間違えて
いるかも知れませんが今はこの現象がこの9年間の運河の変化を起こしたものと思っていま
す。 
運河の観察を続けていて何か30年のスパンで運河の中は動いている様な感じを受けた期間で
した。



戻る
戻る



inserted by FC2 system