京浜運河の貝 1975-2017 総まとめ 作成中
   (ここに掲載しているグラフ等に付きましたは無断掲載、転用等はしないで下さい
    必要な方は必ず御連絡をお願いします。)
     
   1975年からの観察で得た 貝の出現状態をグラフにして見ました。
   
   1975年から2017.4月までに見られた運河内での種類数の蓄積をして
   運河内に現れた累積のグラフです。




     各年度に現れた種類数数です。実際には1種1個体でも確認出来ればグラフに表示されて
  いますが、通常に見られる種類数の実態は減ってしまいます。
  このグラフで見る状態は運河の実態を明確に表していません。
   

  各年度に見られた新出現数をグラフにしています。
  1996年と2004年に新出現種が多くなっています。
   この出現の状態についてもかなり明らかになって来ました。
   1996年には主に汽水域に棲める貝の種類が2004年には外海に棲む種類が主に
   増加して、同じ様な増加の仕方ですが内容は全く異なるものでした。


   







1975年からの累計種類数です。(2017年4月まで)
  東京湾奥の運河の中、汚いようですが、結構種類数は見られました。
  観察当初は、ずっと観察しても50種には届かないのではと思っていましたが、経過して見ると
  海自体の変化で、生息状況、遇因分布種の出現と変動が見られる事が判って来ました。
  観察は途中で停止してしまいましたが、2002年の大変化で起こった事がその前後の観察経過  がよく似ている感じがしました。
  観察からは30年サイクルで東京湾奥が変化している感じを受けています。


  累計総種類は107種となりました。


    
  2002.10月から年平均の塩分です。北埠頭橋では川が直ぐ近くに流れ込んでいますので流れ込む
  淡水の影響が直ぐに出てしまいます。
  2002年5月から始めれば良かったのですが、何でこうなったのか判らなかったのですが、太平洋10年
  規模大変動の記事を見て関係があるかも知れないと思い塩分の測定を始めました。
  毎月4-6回程度のデータを年毎に平均しています。
  2008年2009年は1.1%と非常に低くなっています、ちょうどこの頃、運河内の貝、他の生き物も最低の
  状況で、その後塩分が上昇した2012、2013年頃にまた一時的ですが色々の種類が見られまた減少
  して行きました。
  中央公園ではこの間も種類数の増加とかは特に見られませんでした。
  塩分と貝の種類数の関係は「各年度に記録新記録種類数」のグラフと良く合います。

  
        茶色 2.5%を超えた回数  水色 3%を超えた回数

  このグラフは毎年3%、2.5%を超えた測定値の回数を単純に足してグラフにしたものです。
  2007年から2009年までは一度も2.5%を超えた事はなく この間は種類数の減少が非常に顕著に
  出ました。

  このグラフからは2002年5月、2012年と10年後にピークが出ています。
  運河の中も太平洋大規模変動の影響を受けている感じがします。ただこの先続けらればもっと
  確実に判ったのではと感じています。ピークの大きな時には運河内の生き物も増える、そんな
  印象を受けています。
   
   2002年10月から2017年までの各年度の塩分の動きの全データのグラフを記載 
   北埠頭橋観察の際に測定した結果です、水温については過去の観察記録を参照して下さい。
   
   実際の観察はこの記録以前にも28年間有りますが、その時は貝、その他の生き物の観察のみで特に
   塩分、水温の調査はしておりませんでした、2002年の大変化から 塩分の測定を始めて見ましたが、
   この塩分の動き、つまり京浜運河内に流れ込む外海からの潮の流れが運河の生き物については
   この流れ込みが非常に大きな要素で有る事が判って来ました。
   この流れについて太平洋10年規模変動が関係しているのではないかと考えています、観察からは
   東京湾奥では30年毎に巨大な流れ込み、その間の10年毎の小規模、中規模の流れ込みが有ると
   見ておりますが2002年の巨大流れ込み後の10年後2012年頃にも小規模な流れ込みが観察されました。
   残念ながらこの記録は2002年からの15年間の記録で終わっています、ただ15年後の2017年には、
   北埠頭橋砂浜の頂点の動きが2002年以降、南方向に進んでいたものが逆転して今度は北方向に
   戻り始めました、30年のちょうど真ん中15年目の変化でした。やはり周期的なものが感じられています。
   生き物については、この周期的な変化に対応して生息状況が変化している事も確認出来ました。


    






























  2017年4月中旬より 測定用資料採取は鮫洲橋付近に変更しています。




   

     クレハガイとセキモリガイの出現に見る運河内の変化
   

   クレハガイの出現はすでに1979年に1個体だけ現れ、次は1996年 その次からは2000年となっています。
   ちょうど運河内の塩分が上昇し始めた頃と思いますが残念な事にこの時代の塩分の測定をしていなかったので
   何とも言えませんが、なんとなく塩分の上昇と関連が有る事が見いだされます。
   
   2010年頃から塩分は上昇していて2017年迄でも上昇している感じですが、目で見た感じでは、2002年5月からの
   様な強い流れは感じず、塩分の測定値のみで上昇しているのが判ったという印象です。
   でも2002年から10年前後でまた塩分の上昇が見られるという事は太平洋大規模変動と東京湾奥、関連が有のでは
   と感じています。

   2002年5月から2年以上にも及ぶ目で見て判る運河内の流れ、とても黒潮の流れが東京湾奥に押し寄せて来た
   とは思えなく、もっとチカラの強い流れが黒潮の下を通って押し寄せたのではと感じています。

   個人の感じでは、2002年5月からの巨大な流入が東京湾奥の水質を良くして色々な生物の出現させました。
   その後流れは弱まって行くと比例して運河の中から1996年から見られた様な多様性はなくなって行き打ち上げる貝   の種類もどんどん減少しました、2017年観察が終わる時点では、貝の種類数は1996年以前の様な少ない種類に
   ほとんど限られてしまいました。

   特に1996年の初めての多種類の増加は近くの目黒川に下水処理水を流し始めた効果と思っていたのですが
   観察を続けていて疑問が湧いて来ました、2012年前後の塩分が上昇して良くなるはずの状態が打上げ状態では
   ずっと悪くなったままで、新記録種等は現れるものの、状態は1996年以前の状態に、そしてまだ下水処理水は
   流されているとの事で、本当はこの1996年の確認を行って見たかったのですが観察終了をしました。
   でも状況は悪い状態でしたが1996年に現れた12種の内数種類は完全に定着したようで、東京湾奥の水質規制の
   効果と思っています。


  NEW
     塩分の測定を開始した理由

    200210月から運河の塩分を測定開始しましたが、その背景となるものは20025月の砂浜の大崩壊、その後の       運河の中の水の流れや水のきれいさが要因になって始めました。それ以前の28年間は貝の種類の出現について、       どんな貝が現われるのかを見ていただけだったのですが、この時を境に運河に対する考え方が一変しました。

    その年、5月から8月、9月になっても運河の中を水は運河内全体をとうとうと流れ続け、何時もの夏で有れば水質は      赤潮の影響を受けて赤紫に汚れた感じの水になっていましたが、2002年の時には水もきれいで流れも有り、まるで       外海の状態がずっと続き過去28年間とは全く異質でした。

    そんな理由からこれは外海の海水が直接強い力で東京湾奥まで流れ込んでいるのではと感じたからでした、でも中       央公園ではワンドの中と言う事でこの流れに付いては全然感じませんでした。

   塩分測定は、砂浜の波打ち際で採取しました、水温も同時に測定しました。京浜運河では近くから目黒川、立会川と     淡水が流れ込み大雨の後、直ぐに塩分は下がってしまいます、

運河内は塩分の下がる要素は非常に大きく、塩分が上昇するには外海からの海水が流れ込んだ時のみ上昇すると      見られます、台風の時には0.5%位まで薄くなってしまいます。

200210月から2017年迄ほぼ毎週の様に観察を続けて来て、運河内の生き物とこの外海からの流れ込みが非常に    大きく関連している事が判りました。


   
   次は出現した貝のそれぞれの詳細等を予定しています。
 
   
   
   




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