砂浜の崩壊から
運河を襲った突然の異変、2002年5月から2009年12月までの変化
お台場海浜公園のすぐ近く、大井埠頭北端に近い北埠頭橋の近くに現われる小さな砂
浜で2002年5月の突然の強い流れで砂浜の崩壊が起きました、強い流れはその後弱ま りながらも2009年3月頃まで続きました、そして2008年に至る間、それまでの観察では、 考えられないような貝が現われ出しました。
今までの運河内の観察結果では1975年から1985年まで砂浜に打ち上がる貝の種類
は7種類のみでした、1986年にミドリイガイが打上に加わり、1995年までは8種類のみ、 1996年に急激に14種に増えました、これは直ぐ近くに流れ出る目黒川上流に前年に下 水処理水を放水し始めた結果で、これで江戸川放水路、三番瀬に生息する種の生、死 貝が打上でも見られるようになりました。
又釣り人にのみ掛っていた貝も一部の種類は打上に参加する様になりました、それまで
は、温排水の所で釣り人に掛る外道としての貝が殆どでした、ここまで21年かかってい ます。
いかに川の汚れた水が運河の中まで影響していたのかが分かります、そして川がきれ
いになれば海もきれいになる事の実証であると思っています。
更に1999年にはホンビノスガイが運河に出現しました。2000年には近くの立会川への
東京駅地下駅の地下水の放流がはじまりクレハガイがこの年より定着しました、又この 年マルバガニ、ガザミとカニの種類も多く見られるようになりました。
運河の中にやっと生き物が多く見られ始めたのは1996年からで、つい最近なのです
前置きが長くなってしまいましたが、2002年5月に北埠頭橋の小さな砂浜で、ほぼ毎週
観察をしていて、それまでの28年間で一度も見る事が無かった砂浜の砂の大量流失が 起こりました、台風が有っても変化を見せなかった砂浜のあまりにもすごい激変に何が 起こったのか全く分からず、たった一週間の間に、まるで津波が襲った様な感じでした、 極短時間で起こったのか殆どの生き物は砂に埋もれて死んでしまいました、たった10cm の厚さで砂が覆っただけなのに多くの生き物は対応出来なかった様でした。
その後もその年は運河の中をとうとうと流れる水に更に砂が流失して行って、その流失
が止まらない状態になりました、砂浜に打ち上げる貝も流されて貝は少なく、干潮時の 砂浜の広さもかなり小さくなり観察も良く出来ませんでした。
この時の塩分の変化
測定は2002年10月から、残念ながら2002年5月の変化の前後のデータはありません
が、その後の塩分変化を観察に行く度に測定ました。
2002年から運河の中の塩分としては、非常に高い値で推移し、2006年以降は流れ込
みの勢いが弱って来ると共に塩分も次第に低い値になっています。 2009年現在は、塩分は0.8から1.2%前後で推移し、潮の流れの有った時と比べて低い 状態になっています。 CODの変化
この時のCODの変化で短期間に運河の中の汚い水がきれいになって行く様子が見られ
ています(東京都品川区環境課提供) 値です、2002年5月は砂浜が流される直前のデータです、7月32ppmと非常に高くなり、 2003年3月には2ppmまで下がっています、7月でも32ppmとこれだけ高い値なので5月の 砂浜が流された直後であればとてつもなく高い値になっているような感じがします。
CODの経年変化、2003年から2005年にかけて低い値になっています。
CODの年変化値 2002年の高い値にはグラフ-1の32ppmの値も含まれています、以降
COD値は2004.2005年を低いピークに又上昇し始め、運河の観察では流れの勢いの強 かった.2003.2004.2005年から次第に弱くなって2006年以降はCODは2002年以前に戻 りつつある状況になっています。
2002年以前は、観察状況とCODの値とは一致しませんでしたが、2002年以降から現在まで実際の運河の
様子とCOD値は非常に良く一致し、一時は運河の水色もまるで外海の水がそのまま運河の中にまで流れ込んでいる様子でした。このグラフのCOD値は水の流れ込みの強さをそのまま表しているような感じです。
運河で実際に自分の目で見た流れと塩分の動きとCODの値が非常に良く一致しています。
2003年になるとアサリとホンビノスガイが大量発生しました、アサリは採っても採って
も減らない感じでの大発生でした、ホンビノスもこの年大発生しました、それまで温排水 の流れの北側の浜に発生していましたが、この年で運河全体に見られる様になりまし た、またバカガイも少し発生しました、でも2004年度のような外海種の出現には繋がって はいませんでした。
2004年になるとユキミノガイ、ブドウガイ、2005年にはセキモリガイ等が、ところが2006
年以降になると外海種の種類が少しずつ減少して行きます、運河に流れ込む勢いが 少しずつ弱って行くのが目でも感じられる程でした。ただ一部の貝、ユキミノガイなどは 2004年以降は毎年出現していますが2009年には生貝も見られなくなり僅かに半片が 数個見られた位になってしまいました、又同時にクレハガイも2009年5月を最後に2010 年2月現在まで見られていません、
2009年は運河の貝は移入種、アサリを除いて激減してしまいました。
以下各年における現象を簡単にまとめて見ました。
2003年 アサリ、ホンビノスガイの大増殖、バカガイの発生(但し少産)
イガイダマシ激減 チチュウカイミドリガニ激減 ヒラムシ全滅
ゴカイ 砂の流れた方向では全滅 塩分高く
2004年 外海種の急激な増加 ユキミノガイ等
2005年 2004年よりも多くの種類が見られた。セキモリガイ等 イガイダマシ激減
2006年 外海種の減少 潮の流れ弱まる 塩分徐々に低下
2007、2008年 更に減少 イガイダマシ激増 潮の流れ更に弱まり塩分低下
2009年11月 1996年から増えた種類も激減 潮の流れなくなり干満差だけに
2003年からは汽水域の種類が大きく減少し、変わって2004年からは今まで運河に見ら
れるはずのない貝が見られ出しました。
通常変化の有った翌年には大きな変化が起こるのですが、運河では2年後の2004年に
現われました。
これは、運河内に溜まったヘドロ等が強い潮流で流れ去るのに1年以上かかって底
がきれいになり、色々の生き物が棲める状態になったと考えています。
2004年から2006年にかけて運河内では、色々の種類の外洋種が出現しました、2009
年になると遇因分布種も極端に減少し、定着種さえも消滅してしまうかと思う位、減少し ています。東京湾奥に流れ込む潮の流れが強いか弱いかでこれ程の違いが出るのが長 期間の観察で分かって来ました。
追) 2009年の遇因分布種は4種と激減しました。
でも砂浜の形を変えてしまうほど強い潮の流れを生じたものは何であるかですが、2009
年2月2日日本経済新聞に掲載された記事で海の自然変動で太平洋では数十年ごとに 水温が上下する太平洋十年規模振動という現象が知られていて2000年前後に高温期 から低温期に切り替わった、前回の低温期は1970年代半ばで約30年続いたとの事でし た。
運河の観察は同じ頃の1975年頃から始まっています、その頃の運河は温排水の所に
色々な種類の外洋性の魚が現われています、イシダイ、サヨリ、アジ、サバ、カマス、コ ショウダイ、ハマチの幼魚等が見られました。これらの魚は少しずつ見られなくなり、今 回の2002年からの貝、その他の生き物の出現そして減少と非常に良く観察結果と一致 しています、 東京湾奥は、数十年ごとに大きく変化をしているのではないかと今は感じ ています。又、今までの観察は単に東京湾の動きの1サイクルを見ただけの感じを受け ています。
次回は2002年の30年後、2032年頃に又同じ様な現象が見られる可能性が有ると思って
います、ただ地球温暖化の影響を受けて変わってしまうかも知れませんが、これから先 も出来る限り観察を続けたいと思っています。
他海域と連動?
逗子、鎌倉の貝の打上が2003年から急増しました、相模湾レッドデータブックに記載さ
れているオオシイノミガイ等が大発生しました、運河で起こった現象と相模湾で起こっ た現象が連動していると感じています、そして2010年2月現在では運河もそうですが逗子 鎌倉も打上げ貝がかなり減少しているとの事です。 黒潮の流れの影響以外のとてつも なく大きいチカラを海は持っていると今は感じています。
追)
2010年2月27日 南米チリで大地震があり、2月28日日本沿岸にも津波警報が出されま
した、幸いにも予想よりも津波の規模は小さかった様ですが小さくとも力は有ります。
今回の津波来襲による運河の砂浜の状況は幸いにも殆ど変化は感じられませんでし
た。
2002年5月の砂浜の変化は今回の津波とは比較にならないほどのものすごい現象だっ
たんだなと改めて感じています、砂浜が崩れた後もいつまで経っても運河の中の水は
とうとうと流れているし、砂浜も更に少しずつ痩せて行くし、昔、砂の中にうずもれてしま
っていた和船の残骸まで洗いだして押し流して行きました。 津波とは全く異質の何かを
感じています。
|